ジムに行かなくなってから2週間ぐらいが経った。結果から言うと、明らかに気持ちが落ちている。全然やる気が出ないし、いろんな側面で自己規律が弱くなっている。
言葉にできないような重石がある。なぜ言葉にできないのかもよくわからない。それでも「それ」の重みは、レンガを乗せたクッションみたく、私(彼)の上にくぼみを作る。
苦しい。(なぜ?)私の上に何かが乗っかっているから。乗り越えないことには語ることはできない。
語ると言うことを試してみる。思考的/試行的実験。海に向かって石を投げ入れるような感覚。しかし難しいのは、ボトンと音を立てて、水に沈んだが最後、その後どうなったかは知る由がない。
留学をして何かを感じた男。その感覚の本質には何があるのだろうか?不毛?不毛とは、どんなにもがいてももがいても、実りがないこと。何を本当には求めているのだろうか?例えば性的な充足が欲しいと言って、彼が本当に欲しているものはなんだろうか?
かたららねば。かたらるららば。かたまるららら。かたまわり。大きく目を見開いてそこで起きていることを記録すること。
「苦しいのよ、わたし。」
「この苦しみから私を守ってくれる、傘が欲しいの。」
「投げつけられる無数の石から、私を守ってくれる傘が欲しい。」
「誰か私を守って欲しいの。そうすればきっと私、ようやく不安から離れて眠りにつくことができる。猫みたいに丸まって、すーすーと寝息を立てて夢を見るのよ。誰にも邪魔されない、長くて幸せな夢。」
「私が言ってることって、馬鹿みたい?」
〈中略〉
「自分で自分に同情をして泣いたことは一度もない。」
「ただ、私が私の話をして、聞いていた相手が泣いたことは何度かある。」
「私としてはもちろん泣かせようなんてこれっぽっちも思っていなかった。それどころか、一体どこに泣くような要素があったのか今でも私にはよくわからない。」
「それでも、その話をした時、何人かの人々はとても美しい涙を流してくれた。どの人も、私のこれまでの人生で数少ない、本当の私を見つけようと真剣に話に耳を傾けてくれた人々だった。」
今も昔も人の話を聞くのは得意ではない。第一に興味が持てないし、第二に面白くない。そもそも自分のことを語るのだって、うまくはできないのだ。〈コミュニケーションの破綻〉。〈関係性の断絶〉。〈自主的な孤立〉。〈エトセトラ〉。