イン・ザ・ユーロスター2

2023年のことを考える。2023年のことを語ろうと思うと、僕は途方に暮れてしまう。例えば僕はなるべく事実に誤りが生まれないよう時系列的に、そしてあくまで客観的に、語ることができる。つまり、4月某日に誰々と出会い、5月の某日には恋人同士になった。7月に彼女は日本を去り、10月に電話越しで別れを告げられた。云々。こういった記録の良いところは、より主観的な報告が時として生む「偏り」、あるいは事実からの乖離を回避することができる点だ。しかし事実のみを述べる記録は、それがどんな詳細なものであったとしても、本当に重要なことは何も語らなかったりする。

 

だからこういう記録もいいかもしれない。2023年、別に肩肘を張らなくても愛されることを知った。2023年にはいくつかの新たな出会いがあった。そして結局コンスタントに安定した関係を築けたのは殆どが男たちだった。4月にはRYとSHに出会い、6月頃にはバイト先でKTと出会った。秋学期にはYに出会い、友達になった。どいつもいい奴だ。私は彼らと出会えたことに感謝している。

 

あるいは、Hとの関係も少し変化した。今の方がもっと気楽で、多分もっと色んな気持ちをあけすけに語っている。

 

やれやれ。大した一年だった。

大体、年末に一人でアムステルダムに向かっているなんて、誰が予想できたろう。

ここは遥か遠くの異国である。この場にあって私は孤独な異邦人である。人々は、言葉の通じぬ、何を考えているのか、あるいは考えていないのかもよく分からない、特異な生物として私を見つめる。別に何も考えちゃいないさ。私はただ、この国と、そこに住む人々と暮らしを少しでも理解したいと願っている。理解を通して初めて私はあなた方を受容することができるし、そして間接的には自分自身のこの場における存在を受け入れることができる。

もちろんたかが数日の旅行で十分な理解を得ることなんて不可能だ。観光客は観光客らしく、見栄えの良い上澄みだけを自分勝手な理解で消費していれば良いのだ。それもあるいは悪くないかもしれない。実際のところ、案外どちらも到達する場所は一緒なのだ。

 

イン・ザ・ユーロスター

羽田空港を出発してから29時間が経った。道中を楽しむことも旅の醍醐味ではあるが流石に疲れてきた。腹も減ったし、神経も張り続けている。まだ2時間半も電車が残っている。自分以外に頼れる人も勿論、誰もいない。

どうしてこうなったかと言えば、何を隠そう、旅行費をケチったからだ。羽田から直接アムステルダムに飛べばあと10万はかかったし、ドイツ国内からアムステルダムに飛行機を使うのも高すぎた。無論私にそんな金の余裕はない。そんなこんなで私は、娯楽たる海外旅行の最初の30時間以上を、神経を張り続けることを要する孤独で絶え間のない移動に費やすことになった。やれやれ。

とにかく今からやることを考えよう。街に出て発狂する。いや、それは違う。とにかくは一番乗る時間の長い電車に乗り換えたら席を確保して一時間半はゆっくりすることだ。それを降りればもう目的地はすぐそこだ。アムステルダム中央駅に着いたら宿はたしか3キロ少しのところにある。地下鉄か、別にタクシーでもいいか。

7時半過ぎに宿に着いたとして、まずは大荷物をなんとかしよう。もしベッドの脇とかにチェーンで繋げられるならそうして、無理そうなら今日のところ必要な着替えやら化粧水やらを取り出してリュックに移す。そしてスーツケースはフロントに預ける。貴重品は、シャワーの間や寝てる間は鍵付きロッカーに入れようか。リュックごと入れられればいいのだけど、無理なら分ける。

荷物の整理が済んだら、真っ先にシャワーを浴びよう。可能なら熱いシャワーがいい。そして歯を磨いて、髭を剃る。ついでに陰毛も剃ろうか。体をよく拭いたら化粧水と乳液を塗って、落ち着いた格好に着替える。ここまではできれば8時半までに済ませたい。こうなったら今日のところは体に鞭を打ってでも楽しみたいのだ。着替えたら街に出て美味しいご飯をたらふく食べてビールを流し込む。別に一杯ぐらいはいいだろう。そしてその後はコーヒーショップに行ってチル系のマリファナをふかす。一時間とか二時間ゆっくりして最低限頭がしっかりしたら宿に帰ってすぐに寝る。できれば12時半には寝たい。明日のことは明日考える。

とはいえ、大体は決まっている。朝はジムに行って、昼からは国立博物館アンネ・フランクの家あたりを観光する。その後は時間が余れば適当に時間を潰してRと会う。どこかでご飯を食べよう。

明後日。何もやり残すまい。朝ジム。サウナ。適当に観光。飾り窓。帰ってシャワーを浴びたら、翌朝の支度をして日記でも書いて寝よう。

ミュンヘン到着

昨日の夜19時半に羽田空港を出発し、北京で乗り継ぎをして先ほどドイツのミュンヘン空港に着いた。到着時刻は朝の6時。まだ街は真っ暗だった。ここまでの旅はほとんど滞りなく進んだけれど、一度だけ大きな事件があった。北京で飛行機を降り、乗り継ぎのための税関を通ろうとしたら、パスポートがなくなっていた。バッグの中のどこを探しても見当たらず、記憶を掘り返してもどこにあるのか何の手がかりもなかった。でも現実的にあるとすれば、飛行機の席しかあり得なかったので、空港のスタッフに言うと、その飛行機にスタッフを送って探させるから少し待っていてくれと言われた。予想外にスムーズに対応してくれたのは良かったが、そこから随分長い間待たされた。他の乗客はみんな税関を通り抜けていた。そこまで来るともう焦りとかじゃなく、絶望と困惑に覆われて、ただポカンと口を開けて「楽しみにしていたけど、もう帰国か。せめて日本までの飛行機は乗せてくれるといいなぁ」なんて思っていた。20分ほど経って(実際はもっと短かったのかもしれない)「Passport!」と叫ぶ中国人の女性スタッフが遠くから歩いてきた。彼女の手には私の紺色のパスポートケースが掲げられていた。

そんなこんなでミュンヘンに着いてーそれにしても無事来れて本当に良かったー今は空港のスターバックスで乗り継ぎの飛行機を待っている。朝ごはんがてらサラミとチーズのサンドイッチとコーヒーを一杯頼んだら、それだけで1500円になった。やれやれ。デュッセルドルフ行きの飛行機が出るまであと約5時間。ターミナルにはあと3時間ぐらいで入場していいかもしれない。いや、どうせやることもないしもっと早く入ろうか。

北海道2日目

北海道2日目。今日は疲れた。

 

一人暮らしがしたい。家族からは離れて、自分の選んだ人間と自分の選んだ場所で自分の好きなことをしたい。私はそうしなくてはならない。新しい場所で新しい人生をスタートさせて、私は初めて自分が自分みたく思えるんだ。

 

目一杯喉を震わせても音は生まれない。大きな声で喋りたくはない。でも決して黙ってはいけない。声の不在は自己の不在だからだ。私は私であるが故に不全なのか。不全ゆえに私なのか。どちらにしても、私の耳元で音は鳴り続け、一刻ごとに私の自我を圧迫する。耳を塞げば音は頭の中で反響し増幅する。増幅した音は重い振り子のように内側から私の頭蓋骨を打つのだ。

 

墓地のような雪国のバーに行った。前世紀の音楽と濁った空気が宿命的に空間を支配し、人々は真空の中に言葉を放つ。退廃。肉体の消滅。そして暗い思索のような頭痛。52歳のロックシンガーが適当な相槌をうつ時には、意味がでんぐり返しをして、猥雑な皮肉が残る。

 

あるいは明日には世界に意味と一貫性が回復しているかもしれない。放たれた言葉が真空ではなく、確かな震えを空中に生んで消滅していく世界に私は再び目を覚ましたい。美しい人生には美しい朝があるのだ。意味の回復を願って私は眠りにつく。降り積もる雪は道ゆく人々の重みで氷へと変化する。12月24日。とある雪国のクリスマス・イヴ。

レゾンドトゥール

世の中にはエッセイやら随筆やら評論やら色んな種類の文章がある。その中でも私が一番好きなのは小説だ。なぜなら小説は全て空想で、それ故に他のどんな文章よりも物理的なインパクトを持っている。

過去読んだ中で最も印象に残っているのは村上春樹氏の「風の歌を聴け」だ。読んだことのある人ならわかると思うが、とにかく特殊な小説だ。それを従来の意味での小説と読んでいいのかもよくわからない。でもそんなことは大した問題じゃない。むしろ「風の歌を聴け」はそれ自身が新たに小説の枠組みを広げて、その原点に自分自身を置いた、そんなような歴史的な作品だと思っている。

 

(ここからは空想)

海沿いの小さな街に真っ赤な音楽家たちがやってくる。真っ赤な音楽家たちは5人で一つのグループをなしている。そのグループに名前はないが、彼らはあまりに有名なので人々は各々の呼び方で彼らを呼ぶ。無数にある名前の中でも支配的な呼称となっているのが「レゾンドトゥール」というものであり、私も便宜上彼らをそう呼ぼうと思う。「レゾンドトゥール」にリーダーはいない。全てのメンバーが独立した音楽家であり、彼らはお互いを最も距離の近い一人の同業者と捉えていて、お互いがお互いに影響を与え、結果として共同的に素晴らしい音楽を生み出し続けている。とはいえ、最初に一つの音楽グループを作ろうと決めて他の者たちに声をかけ始めた創設者はいる。彼の名前をカラスという。楕円形の大きな黒いサングラスをトレードマークとして、近年はテレビやネットメディアでも度々姿を現す。光を反射しその奥の表情を隠す匿名的なサングラスとは裏腹に、彼は頻繁に自身の考えをメディアを通して発信し、政治や芸能から、一週間で忘れ去られるような俗物的なニュースについても求められれば積極的に意見を発する。彼の音楽家という本業を知る前に彼のことをテレビで知る人なども多い。そんな外向的なカラスとは対照的に他の4人のメンバーはほとんどメディアに姿を現さない。彼らが特別秘密主義であるというわけではないが、4人は音楽以外の手段で自分達を語ることに大した意義を見出してはいない。彼らは多産な音楽家なので、もし全員についてよく知りたいと思うのなら、彼らの楽曲に触れてみることが手っ取り早いだろう。

とはいえ、そんな今をときめく「レゾンドトゥール」、真っ赤な音楽家たちが私の住む何もない海辺の街にやってきたことはちょっとした出来事であった。

(続く、多分)

その恋こそが永遠と信じて

I fall in love too easily 

I fall in love too fast 

I fall in love too terribly hard

For love to ever last 

僕はいとも簡単に恋に落ちてしまう

あまりに早く落ちてしまう

とても深く激しく

その恋こそが永遠と信じて

 

チェット・ベイカーのI fall in love too easilyを聴きながら、僕は電車に乗って大学に向かう。

窓の外にはいつもエメラルド色の海が広がり、綿菓子の切れ端みたいな雲の下を茶色いトンビたちが飛び交う。トンビたちはとても狡猾で、隙さえあれば海辺を歩く人達の元に音もなく一直線に降下し、その手元からパンやおにぎりをひったくって飛び去っていく。僕も何度かとられたことがあるが、その動作はあまりに素早いので、バサリと大きな音が耳元でして、空を見上げて下を見たときにはもうパンはない。

片道2時間かかる通学路を週に2回大学のために行き来する。前の学期には週4日通っていたが、あまりに疲れるので今学期は2日しか行かないように授業のスケジュールを調整した。残りの5日のうち、3日はバイトに入り、最後の2日は友達と酒を飲むか、一人で本を読んだりサウナに行ったりして過ごす。

最近は20世紀以降のアメリカの小説を読んでいる。ポール・オースターレイモンド・カーヴァー、そんなところか。そして英語を読むのに疲れると村上春樹を読む。本を読んでも人はどこへも到達しない。今いる孤独の淵にもう少し深く沈み込むだけだ。でもそれはそれで悪くない、と感じさせてくれることがある。だから僕は本を読むのだ。幸せな人間は本を読まないのかもしれない。

レトルトのライスを電子レンジで温めながら僕は考える。人と人が結びつくとは一体どういうことなのだろうかと。1000Wで1分間熱したレトルトライスは熱すぎるので、僕は箸で米の表面をほぐす。白く光るライスの表面からは薄く湯気が立ち昇る。米は消化が良く、手軽に炭水化物を補給するにはもってこいの食材だそうだ。巷には太るのが嫌なので米を食べないという連中がいるらしいが、僕は太るために米を無理にでも平らげる。

2年前ーあれはもう2年前のこと、いやたった2年しか経っていないのだー僕はアメリカにいた。スーパーマーケットに行くにも車で15分かかる、地方の小さな大学の寮に住んでいた。そこで出会った唯一の友達は生粋の大麻好きで、父親が家で自家栽培した大麻を頻繁に大学の寮に送ってもらっていた。パイプ、ジョイント、ベープ、大麻大麻でも色々な方法でトリップする方法があるらしい。僕は最初、一番負荷の少ないベープで大麻を吸わせてもらったのだが、吸っても吸っても違いが感じられなかったので、他の人が吸っているパイプを一口吸わせてもらった。ベープでは一切変化が感じられなかったので、たかを括って思い切り肺に吸い込むと、一瞬強大な何かに物理的に吹き飛ばされたようなインパクトがあり、気づいたときには僕は仰向けに草むらの上に倒れていた。そこから脳の中では無数に支離滅裂なイメージや色や感触が現れては消え、その夜は眠りにつくまで何度も吐き続けた。

僕の父親と母親はとても饒舌な人間で、それでいて本音の語り方を知らない人間たちだった。父親は何を話すにもどこか演技がかっていて、とても機嫌がいいか、とても機嫌が悪かった。そして酒を飲むとよく怒鳴り散らして暴れた。母親はすぐにヒステリーを起こし、そうでない時には黙って家事をした。数えきれないほど二人には殴られ、怒鳴られたが、それに対してかけられた印象に残るような温かい言葉はほとんどない。僕が最も父親に近接できたように感じたのは、中学の時、ある些細なミスから両親に大きな迷惑をかけたときだ。内容は大したことじゃない。でもとにかくその時うちには全然金がなくて、僕の起こしたミスから両親は50万円を僕のために払わなければいけなかった。顔面蒼白で家に帰って、父親のいる寝室のドアを開けると、寝転がった父の後ろ姿が見えた。僕が消え入りそうな声で謝ると、父は不機嫌な声で「あっち行ってろ」と一言だけ言った。僕はすぐに部屋を去ったが、白いタンクトップから生えた父親の細い二の腕だけがずっと記憶に残った。