私は今まで見てみないふりをしていたこと達に目を見開かねばならないのだ

お前は自分の人生に到底満足をしていないし、お前はそれをよく分かっている。

”声”はここ数週間の間、折に触れて私の耳元でそっと囁かれる。私はより自立した人間にならないといけないのかもしれない。声が意味しているのはそういうことだろうか。いや、必要なのは自分を愛することだ。そうでもないー声は囁く。私は今まで見てみないふりをしていたこと達に目を見開かねばならないのだ。

今の私は到底生きているとは言い難い。こんなのはまともな生活とは言えない。

ヒップでシュールなスプリント、凡庸さのマラソン

前回書いた日記を読み返してみたら随分といい仕上がりだった。書いたときは例の如く全然自信がなかったし、あんな短かな文章にとてつもなく長い時間をかけたのだが、そのためもあってか、あるいはそれとは特に関係なく、なかなかいい文章だと思った。

それはさておき、私はまたドトールコーヒーにいる。しかし今度は上大岡の駅前で、禁煙席ではなく喫煙席に座っている。そして時刻は昼過ぎでもなく、私は退屈でもない。私が自分の駅ではない上大岡駅に降り立つことになったのは、京急線の人身事故のためである。学校から帰る途中の電車、2つほど先の駅でリアルタイムで人身事故が起きた。まず電車がゆっくりと減速し、その後でその事故がスピーカーからアナウンスされた。電車は上大岡駅で終点になったので、私はやむなくホームへとおりた。改札を出ると辺りには沢山の人たちが当てもなく立ち呆けていた。私は少しタバコが吸いたくなった。復旧までは1時間ぐらいかかるだろうと見越し、かくして私はドトールコーヒーの喫煙席に至った。

descriptive. 今日授業へ招かれてやってきた某有名翻訳家は現代の日本文学の傾向についてそう言った。それぞれのシーンの設定や情景が基本的には過不足なく描かれていて、いわば映画や漫画といった視覚芸術を見ているのと近い感覚が与えられる。そしてそれは西洋世界の文学作品の影響、あるいはそれを日本へ輸入してきた村上春樹の影響であると。私の文章はどうだろうか。もちろん小説家と自分とを比べるような無粋な真似をするつもりはこれっぽっちもないが、少し自己観察的になってみれば、私の文章もかなり情景描写的というか視覚的な要素は強いと思う。例えばこの日記の二段落目、特に考えず書いていたのだが、文章は視覚的である。もちろん、その時々で変わったりもする。自分の感情とか擬似哲学的なジャンクをグダグダと書き連ねるようなこともあって、そういう時には視覚どころか情景なんて一つも出てこない。しかしdescriptiveという言葉をもう少し敷衍して捉えると、私の文章は常にdescriptiveであるように努めていると思う。なぜなら自分の感情をあれやこれやと説明する行為はーそれは自分自身に対して説明する試みでもあるー、それを言葉と音の暗示性や文章の狭間の機微によって何かを語ろうとすること、あるいは語らない選択をすることに比べれば、疑いなく説明的な試みだからだ。

翻訳家はこうも言っていた。日本の文学作品というのは音とリズムをとても大切にする。それもまた大きな真実があると思う。三島由紀夫川端康成といった戦前の小説家に関しては私が詳しくないので良くわからないが、少なくとも村上春樹以降の小説家は音をとても大切にしていると思う。私も村上春樹の言葉への美学のようなものの影響を、意識的か無意識かはさておき、強く受けていると思うので、音はとても大切にする。なんなら、音のために真実を犠牲にすることも多々ある。西洋の文学世界では音へのemphasisはそこまで強くないらしい。それよりも、語りの論理性、内容の徹底といったところに重きが置かれるのだそうな。

文章を書くことはやはりとても難しいと思う。いつも私はスプリントはできるが、マラソンはできない。やっぱり村上春樹みたく、シュールでヒップである方が格好いいし、それに憧れて書くのだけれど、一度もうまくいった試しはない。結局スプリントで終わるだけだ。だから私はここに自分なりの哲学を打ち立てようと思う。音も大事だし、ヒップで無感傷であることも魅力的だ。でも第一に覚えておきたいのは、自分を信じることだ。どんなにつまらなくdescriptiveで、凡庸な自分の語りでも、忍耐強く書き続ければどこかに到達できるかもしれないと。実際この日記は今ある種のカタルシスを迎えたと私は思う。それはまず一つ、ささやかだが確かな功績だ。

完全に書き途中

今日は11月上旬の土曜日。朝から少し空は曇っていて、風は肌寒い。弘明寺の商店街にあるドトールコーヒーで私はパソコンに向き合っている。ここ最近の生活は大方退屈だが、痛みや苦しさは特別ない。

私が破局をしてから大体1ヶ月が経った。今はその打撃からも随分回復してきた。私はその人物と出会う前の私に戻ったようでもあり、ある意味では全く違った人間になったような気もする。

今私は自分が無感動な人間であるような気がしている。目の前で「生活」という一つの劇が変わるがわるその展開を変容させていって、私はそれをスクリーンのこちら側で観察している。私は広々とした無人の映画館で一人暗い席の中に座り込み、肩肘をついてその物語の変わりゆくさまを眺めている。画面の中の人々や物事は常に私に何かを要求してくるのだが、私にはそれがとても鬱陶しい。本当は私はそれをただ一人の観客として眺めていたいのだ。画面を見つめながらぼーっとしてみたり、たまにその描写が意味することについて当てもなく考えを巡らしてみたり。私はそうやっていつまでもその映画館の席の中に座り込んでいたいと思う。でもその映画は私にそのような消極的な自由を許してはくれない。なんと言ってもそれは私自身の物語だからだ。

神経を引っ張り引っ張り引っ張り、そしてたまに思い切り指を離してその弛緩に身を任せる

今日は類を見ない生産的な1日だった。朝は八時半に起きて母親を駅まで送って行った。帰ってきて九時半にまた妹を駅へ送り、自分は十時に家を出て申請していたパスポートをパスポートセンターまで受け取りに行った。

昼には珈琲館に入り、課題を三つ終わらせ、その他いろいろな作業を終わらせて夕方に一度家へ帰った。家で夕飯を食べてから、駅前のジムへいき、背中と二頭筋のトレーニングをした。また帰ってきて夜食を食べ、今は布団に寝転がって日記を書いている。

これだけ生産的に1日を過ごせたことを私は誇りに思う。ただ同時にささやかな不安も私の中に浮かび上がっている。それは一日中頭の片隅にあったし、無視をすることもできたのだが、あえてここに書いてみる。私が恐れているのは「揺り戻し」である。

そもそも生産的に1日を過ごす目的とはなんなのだろうか。生活の生産性を高めることができる。それは即ち、より多くの知識を脳みそに蓄えることであるし、今日課題を終わらせた分明日からバイトに専念ができるので、お金を貯めることでもある。では沢山知識を蓄えて、お金を貯めて、一体何になると言うんだろう。これに関して私は答えを持っていない。しかし、大切なのは答えを得ることではない。肝心なのは適切な問いを見つけることだ。私が今提起した問いはこうだ。「生産的な生活を送ることの意味はなんだろうか」。でもおそらくこれは正しい問いではない。少なくともそんな問いを抱えて生きていくことは、脚に重りをつけてマラソンを走るようなものだ。

頑張ることは大切だ。頑張れば頑張るほど、功利的な観点では多くのものを得ることができる。そして功利的な観点を持って生きることは悪いことではない。我々はみんな多かれ少なかれ功利主義を生活の中心に持って生きている。それは、問いを投げる対象というより、受け入れるものではないかと私は思う。生きることに抜き差しならず関わってくる功利主義を受け入れること。だって、沢山お金があったら嬉しいじゃないか。余暇を増やせれば嬉しいじゃないか。勉学があれば人生は豊かになる。私はそう思う。

ただ時には功利主義を忘れて、身体をそれが求めるがままに発散させてあげることも大切だと思うのだ。例えば高校生の時、受験を控えて僕たちはみんな険しい顔をして机に向かっていた。一日7時間も授業を受けて、家に帰っても参考書を開いて予習と復習に励んだ。でも授業の間の十分、昼休みの一時間は友達とふざけ合って時を忘れた。僕たちの生活はそうやって完結していた。神経を引っ張り引っ張り引っ張り、そしてたまに思い切り指を離してその弛緩に身を任せる。私の身の回りで幸福そうに生きている人を見てもそうだ。彼らは日々真面目に働いて、たまの休みには自分のしたいことをしてはっちゃける。はっちゃけ方は一つではないし、それはそれぞれ違う。でも、そういった人たちはみんなしっかり折に触れて伸び切った神経を弛緩させるのだ。

今の俺にはそういった捌け口があるだろうか。わからない。たまに自分の神経を引っ張りすぎて、気づいた時には指がべったりとくっついてしまって、その弛ませ方がわからなくなる。だから今日みたくそれなりに神経を引っ張って功利的で生産的な1日を過ごせた日には、ただ自分は疲弊してしまって、疲弊は溜まり俺はまた数日ブルーな気分になってしまうんじゃないかと怖くなるのだ。揺り戻し。そういった時、私が意味するのはそういうことだ。

月曜日はひどくネガティブだったけど、火曜水曜と私はそれなりに機嫌が良い

月曜日はひどくネガティブだったけど、火曜水曜と私はそれなりに機嫌が良い。なんとなく気楽に人と接せられていると思うのだ。

今日は私のお気に入りの授業があった。13時に学校に着いて一本タバコを吸ってから、授業に入った。2コマ連続の授業だったのでかなり長いこと一つの教室にいたのだが、授業の面白さもあってか楽しむことができた。それにこの授業は少人数制で他の学生とディスカッションする機会が多く、それぞれの人としっかりと密に関わることができる。私がその授業を好きな一つの理由はそこだ。授業は1時間ほど早めに終わったので、近くにいた韓国人の女の子二人と日本人の男の子一人と、4人で雑談をしていた。私が少し可愛いなと思っていた韓国人の女の子はどうやら仲良くなり始めている特定の男の子がいるらしく、彼女の恋愛について4人であれこれ話していた。彼女みたいな人にそれだけ気を向けられる男の子は幸せだろうなと思った。

数日前にインスタグラムを消していたのだが、彼女たちとアカウントを交換するために再度インストールした。すると、元彼女のハロウィーンの投稿があった。セクシーな格好でハロウィーンを楽しんでいた。私は目から血を流しそうな思いだった。思わず友達の一人に感情を吐露すると、彼は私にすぐ返信をくれて同情の言葉をかけてくれた。私は彼に感謝した。

少しマシにはなったが、依然と私の中に澱み続ける行き場のない感情を発散するために駅前のジムへ行った。いつも私は一つ一つの動きを意識しながら丁寧にワークアウトを行うのだけれど、今日はエミネムをエアポッズで流しながらとにかく上げれる限りの高重量を乱暴に上げ続けた。1時間ほどだったが、いい発散にはなったと思う。私はなかなか脂肪も筋肉もつきにくく、食欲も旺盛ではない痩せ型の人間なので、もっとトレーニングを行いながら食事の量もかなり頑張って増やしていければと思う。

来年の夏には細マッチョな体でサーフィングでもしたい。そしてそれをインスタグラムに載せて、いたいけな女子たちの性欲を不毛に掻き立てるのだ。それが目下の目標の一つである。誰かに見放されることにはもううんざりなのだ。欠陥と弱さだらけだけれど、一つの軸を持って静かに歩を進め続ける私を私は誇りに思う。大切なのは今目の前にある物事たちなのだ。明日もきっとジムに行こう。おやすみ。

今日はあまりにネガティブなので正直公開したくない、けど書いたしする

現世で生きることは絶え間ない苦痛である。少なくとも私にとっては。でもこの日記の中では私は自由である。およそ私が自由になれる唯一の場である。この小さな世界を築いたのは紛れもなく私であるし、それについては私は自分のことを誇りに思っている。

私は本を読むのが好きである。そして本を読んでいると不思議に心に残り続けるフレーズや文章に出会うことがある。そういった文章は多くの場合、最初読んだ時理解できないものであることが多い。理解はできないのだけれど、その文章が響かせる音なのか、理解はできずとも一直線に我々の心を貫く深いメッセージなのか、どちらにしてもその文章は私たちの心の中に残り続ける。

村上春樹氏の「色彩を持たない多崎つくると、その巡礼の年」の中でこういった一節がある。

 

その時彼はようやく全てを受け入れることができた。魂の一番底の部分で多崎つくるは理解した。人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ。

 

この一節は私がこの小説を初めて読んだ時から不思議と心に残り続けている。日常のふとした瞬間にこの一節が断片的に私の脳裏をよぎることがある。この小説は今まで三度ほど読んだが、読むたびに私は説明不能な感動を新たにする。今この一節を紹介したのも、ここ数日私がこの文章を思い出していたからだ。

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今日私は何かについて考え続けていた。その何かは形にならなかった。形にならないがためにそれは、一日何をしていても、伸びすぎた前髪のように私の意識の集中を邪魔し続けていた。それは形にならなかったが、同時に私はその正体を知っていた。言ってしまえばなんてことはない、私は失恋から癒えていないのだ。何をしていても、私は愛していた女に捨てられたという事実と、彼女は私の知らないどこかで多くの人に囲まれて(その中には私の知らない男たちもいるのだ)楽しそうに笑っているということが、私の心を抉り続けていた。

今日は大学の授業がある日だった。私はこの失恋から回復するためにも今私の目の前にある生活や人間たちとの関わりに満足を見出そうと過剰なまでに意識していた。私が今日まともな会話を持ったのはディスカッションのグループが一緒になった一人の男の子だけである。初めて話す相手であった。彼が授業の始めに行ったプレゼンについて少し話し、その後我々のちょっとした背景などにについて互いに質問しあった。でもいまいち私はその会話に没頭することができなかった。頭の後ろの方では話している私を見ている「メタ的な私」がいて、その私は会話を弾ませるために私が何を言えばいいかを絶えず「喋る私」に指図してきた。私は第一彼と大して会話もしたくなかったのだ。でも自分をより社会化した人間にするためにも、とにかく誰かと話せといわば私の超自我は、気乗りもしない会話を私に強制してきたのだ。私は第一知らない人間との会話に気乗りのするような人間ではない。それは私の人格的な欠点かもしれないし、単なる性向の問題であるかもしれない。真実が前者であれば確かに無理をしてでも会話の機会を増やして経験を重ねることに意味はあるかもしれない。でも後者であるならば、私は自分が本当に優先するべきことと正反対のことをしていることになる。私は自分が心地のいい空間を守ることにこそ優先度をおくべきなのではないだろうか。いや、仮に私が根っからのintrovertであってそれを現実的なメリットのためにある程度矯正しなければならないとしても、気乗りしないことを無理にすることが正しいとは私にはどうしても思えない。

こう言った人間関係の悩みは常に私の中にある。そして先刻私が一日沈んでいた理由は失恋であると言ったが、実際にはそういった人間関係下手の悩みは彼女と付き合っていた時ももちろんあったし、それは今に始まった事ではない。人と会話をすることは治療的に働くこともあるかもしれないが、気乗りがしなければそんなことはただ苦しいだけである。だから人と楽しく会話をするにはまず人との会話を求めてなければいけないと思う。

何かが突っかかっているのだ。全身で人と向き合うことを阻む何かがやはり私の中にある。

気持ちのいい風の吹く、穏やかな秋の昼下がりだった

おじさん、おばさんこんにちは。今日は2023年10月26日木曜日。キリストが生まれてから2023年目で、僕が振られてからちょうど二週間目の記念すべき日だ。

私は今日10時ごろに起きて、母が作り置きしたカレーライスを食べ、その後駅の近くのコーヒー豆屋さんにコーヒー豆を買った。大体月に一度、100gのコーヒー豆をそこで買って、時間をかけて消費している。今日買ったのはブラジルのどこぞの農園で採れたコーヒー豆だ。ブラジルのコーヒー豆でもいくつか種類があったが、その中でも比較的苦味の少ない種類をマスターに聞いて買った。ブラジルのコーヒー豆はあまりにオーソドックスだからずっと避けていたが、今回は趣向を変えて選んでみた次第だ。

家に帰ると、おばあちゃんが家に来ていた。何月かぶりに会ったのでとても嬉しかったし、コーヒーも好評だった。私としてもかなり美味しいと思った。とはいえ、あそこのお店で買うコーヒー豆は何を選んでも美味しいし、あとはその時々の気分だろうなと改めて思った。

私のおばあちゃんはよく喋る。特に僕や妹の小さい頃の話を、会うたびに際限なくしてくれるし、その中には既に聞いた話もたくさんある。でも毎回初めてみたいに嬉しそうに話すし、なんだか溺愛されているような感じがして僕らとしても楽しい気持ちになる。おばあちゃんは自分が話すのが大好きで、あまり人の話を聞いていないように思えるが、無理に遮ってこちらも何かを喋ると、一瞬頭の中に情報を取り込んでから、気づいたように面白そうに笑ってくれる。

家でしばらく、僕と妹、そしておばあちゃんで談笑したあとは、みんなでアウトレットに行った。おばあちゃんは最近家で過ごす時間が多くて自分の買い物はほとんどしていないようなので、僕の貯めたバイト代で何か洋服でも買ってあげようかと思ったのだが、どうせ着て行く場所もないし、服はたまに捨てるぐらい有り余ってるからいらないと、頑なに断られた。なので、3人で少しお店を見て回ったあと、フードコートに入って3人分のランチを僕が払った。せっかく天気もいいのでと、テラス席に座った。気持ちのいい風の吹く、穏やかな秋の昼下がりだった。僕は家族といる時はいつも割に黙って話を聞いているのだけど、今日もそうだった。ただおばあちゃんの語る家族の昔話とかがおかしくて、ずっと笑っていた。

アウトレットを出たら、妹がライブに行く予定があったので、やつを駅に送るついでに、おばあちゃんも家の近くでおろし、バイバイをした。久しぶりにおばあちゃんに会えてよかったと思う。近くに住んでいるのに、僕や妹は学校が忙しいと思って、おばあちゃんは遠慮している節があるので、もう少しこちらから積極的に誘わないとなと思った。

一人で家に帰ってくると時間は大体5時だった。二人と別れて一人暗い部屋の中に座っていると、僕は不思議な感傷に襲われた。根っからの単独行動人間である僕からすると、あるべき場所に戻ってきた、という感覚と、何かがどうしようもなく失われている、という感覚の同居がそこにはあった。その感覚はなぜか別れた恋人の顔もしていた。世間ではもう少しでハロウィーンを迎えようとしていて、その当日には元彼女は露出の激しいコスチュームを着て、大学の寮のパーティーに出かける。それは付き合っていた時から予定されていたことだし、僕はその話を前もって聞かされていた。そんな危ないところに下着みたいな格好でいかせたくはないと僕は感情的になって、我々は数日に及ぶ喧嘩になったのだ。最後には僕が冷静になって、君を信用しているからその服を着て行ってきていいよ、束縛をして悪かった、と謝ると、「いいの、気にしないで」と彼女はこともなげに言った。でもその時には多分喧嘩の熱も冷めていて、同時に他の大切な熱も彼女の方では失われ始めていたのかもしれないと、今になると思う。

明日は朝からバイトで、5時からはバイト仲間の二人とインドカレーを食べに行く。僕はいつまで経ってもやっぱり人付き合いが苦手だけど、ほんの少しは楽しいかもなという予感もある。人と関わる、人と喋る、というのは、とめどなく何かを交換し続けながら、実際には自分から何も減ったり増えたりもしないのだ、と最近は思う。それは僕にとってささやかな救いであった。

これ以上喋ることもない。私は今2000文字も書いて、おそらく何一つ身を削ってはいない。もし疑うのなら体重計に乗って見せてもいい。僕は1グラムだって減ってはいない。

また気が向いたら日記を書く。それは明日かもしれないし、一週間後かもしれない。あるいは、二度と更新しないかもしれない。とにかく今日は休もう。頑張りすぎるぐらい頑張った。我々はいつも頑張りすぎるぐらい頑張っている。おやすみ、おじさん、おばさん。いい夢でも見ろよ。