今日はあまりにネガティブなので正直公開したくない、けど書いたしする

現世で生きることは絶え間ない苦痛である。少なくとも私にとっては。でもこの日記の中では私は自由である。およそ私が自由になれる唯一の場である。この小さな世界を築いたのは紛れもなく私であるし、それについては私は自分のことを誇りに思っている。

私は本を読むのが好きである。そして本を読んでいると不思議に心に残り続けるフレーズや文章に出会うことがある。そういった文章は多くの場合、最初読んだ時理解できないものであることが多い。理解はできないのだけれど、その文章が響かせる音なのか、理解はできずとも一直線に我々の心を貫く深いメッセージなのか、どちらにしてもその文章は私たちの心の中に残り続ける。

村上春樹氏の「色彩を持たない多崎つくると、その巡礼の年」の中でこういった一節がある。

 

その時彼はようやく全てを受け入れることができた。魂の一番底の部分で多崎つくるは理解した。人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ。

 

この一節は私がこの小説を初めて読んだ時から不思議と心に残り続けている。日常のふとした瞬間にこの一節が断片的に私の脳裏をよぎることがある。この小説は今まで三度ほど読んだが、読むたびに私は説明不能な感動を新たにする。今この一節を紹介したのも、ここ数日私がこの文章を思い出していたからだ。

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今日私は何かについて考え続けていた。その何かは形にならなかった。形にならないがためにそれは、一日何をしていても、伸びすぎた前髪のように私の意識の集中を邪魔し続けていた。それは形にならなかったが、同時に私はその正体を知っていた。言ってしまえばなんてことはない、私は失恋から癒えていないのだ。何をしていても、私は愛していた女に捨てられたという事実と、彼女は私の知らないどこかで多くの人に囲まれて(その中には私の知らない男たちもいるのだ)楽しそうに笑っているということが、私の心を抉り続けていた。

今日は大学の授業がある日だった。私はこの失恋から回復するためにも今私の目の前にある生活や人間たちとの関わりに満足を見出そうと過剰なまでに意識していた。私が今日まともな会話を持ったのはディスカッションのグループが一緒になった一人の男の子だけである。初めて話す相手であった。彼が授業の始めに行ったプレゼンについて少し話し、その後我々のちょっとした背景などにについて互いに質問しあった。でもいまいち私はその会話に没頭することができなかった。頭の後ろの方では話している私を見ている「メタ的な私」がいて、その私は会話を弾ませるために私が何を言えばいいかを絶えず「喋る私」に指図してきた。私は第一彼と大して会話もしたくなかったのだ。でも自分をより社会化した人間にするためにも、とにかく誰かと話せといわば私の超自我は、気乗りもしない会話を私に強制してきたのだ。私は第一知らない人間との会話に気乗りのするような人間ではない。それは私の人格的な欠点かもしれないし、単なる性向の問題であるかもしれない。真実が前者であれば確かに無理をしてでも会話の機会を増やして経験を重ねることに意味はあるかもしれない。でも後者であるならば、私は自分が本当に優先するべきことと正反対のことをしていることになる。私は自分が心地のいい空間を守ることにこそ優先度をおくべきなのではないだろうか。いや、仮に私が根っからのintrovertであってそれを現実的なメリットのためにある程度矯正しなければならないとしても、気乗りしないことを無理にすることが正しいとは私にはどうしても思えない。

こう言った人間関係の悩みは常に私の中にある。そして先刻私が一日沈んでいた理由は失恋であると言ったが、実際にはそういった人間関係下手の悩みは彼女と付き合っていた時ももちろんあったし、それは今に始まった事ではない。人と会話をすることは治療的に働くこともあるかもしれないが、気乗りがしなければそんなことはただ苦しいだけである。だから人と楽しく会話をするにはまず人との会話を求めてなければいけないと思う。

何かが突っかかっているのだ。全身で人と向き合うことを阻む何かがやはり私の中にある。