気持ちのいい風の吹く、穏やかな秋の昼下がりだった

おじさん、おばさんこんにちは。今日は2023年10月26日木曜日。キリストが生まれてから2023年目で、僕が振られてからちょうど二週間目の記念すべき日だ。

私は今日10時ごろに起きて、母が作り置きしたカレーライスを食べ、その後駅の近くのコーヒー豆屋さんにコーヒー豆を買った。大体月に一度、100gのコーヒー豆をそこで買って、時間をかけて消費している。今日買ったのはブラジルのどこぞの農園で採れたコーヒー豆だ。ブラジルのコーヒー豆でもいくつか種類があったが、その中でも比較的苦味の少ない種類をマスターに聞いて買った。ブラジルのコーヒー豆はあまりにオーソドックスだからずっと避けていたが、今回は趣向を変えて選んでみた次第だ。

家に帰ると、おばあちゃんが家に来ていた。何月かぶりに会ったのでとても嬉しかったし、コーヒーも好評だった。私としてもかなり美味しいと思った。とはいえ、あそこのお店で買うコーヒー豆は何を選んでも美味しいし、あとはその時々の気分だろうなと改めて思った。

私のおばあちゃんはよく喋る。特に僕や妹の小さい頃の話を、会うたびに際限なくしてくれるし、その中には既に聞いた話もたくさんある。でも毎回初めてみたいに嬉しそうに話すし、なんだか溺愛されているような感じがして僕らとしても楽しい気持ちになる。おばあちゃんは自分が話すのが大好きで、あまり人の話を聞いていないように思えるが、無理に遮ってこちらも何かを喋ると、一瞬頭の中に情報を取り込んでから、気づいたように面白そうに笑ってくれる。

家でしばらく、僕と妹、そしておばあちゃんで談笑したあとは、みんなでアウトレットに行った。おばあちゃんは最近家で過ごす時間が多くて自分の買い物はほとんどしていないようなので、僕の貯めたバイト代で何か洋服でも買ってあげようかと思ったのだが、どうせ着て行く場所もないし、服はたまに捨てるぐらい有り余ってるからいらないと、頑なに断られた。なので、3人で少しお店を見て回ったあと、フードコートに入って3人分のランチを僕が払った。せっかく天気もいいのでと、テラス席に座った。気持ちのいい風の吹く、穏やかな秋の昼下がりだった。僕は家族といる時はいつも割に黙って話を聞いているのだけど、今日もそうだった。ただおばあちゃんの語る家族の昔話とかがおかしくて、ずっと笑っていた。

アウトレットを出たら、妹がライブに行く予定があったので、やつを駅に送るついでに、おばあちゃんも家の近くでおろし、バイバイをした。久しぶりにおばあちゃんに会えてよかったと思う。近くに住んでいるのに、僕や妹は学校が忙しいと思って、おばあちゃんは遠慮している節があるので、もう少しこちらから積極的に誘わないとなと思った。

一人で家に帰ってくると時間は大体5時だった。二人と別れて一人暗い部屋の中に座っていると、僕は不思議な感傷に襲われた。根っからの単独行動人間である僕からすると、あるべき場所に戻ってきた、という感覚と、何かがどうしようもなく失われている、という感覚の同居がそこにはあった。その感覚はなぜか別れた恋人の顔もしていた。世間ではもう少しでハロウィーンを迎えようとしていて、その当日には元彼女は露出の激しいコスチュームを着て、大学の寮のパーティーに出かける。それは付き合っていた時から予定されていたことだし、僕はその話を前もって聞かされていた。そんな危ないところに下着みたいな格好でいかせたくはないと僕は感情的になって、我々は数日に及ぶ喧嘩になったのだ。最後には僕が冷静になって、君を信用しているからその服を着て行ってきていいよ、束縛をして悪かった、と謝ると、「いいの、気にしないで」と彼女はこともなげに言った。でもその時には多分喧嘩の熱も冷めていて、同時に他の大切な熱も彼女の方では失われ始めていたのかもしれないと、今になると思う。

明日は朝からバイトで、5時からはバイト仲間の二人とインドカレーを食べに行く。僕はいつまで経ってもやっぱり人付き合いが苦手だけど、ほんの少しは楽しいかもなという予感もある。人と関わる、人と喋る、というのは、とめどなく何かを交換し続けながら、実際には自分から何も減ったり増えたりもしないのだ、と最近は思う。それは僕にとってささやかな救いであった。

これ以上喋ることもない。私は今2000文字も書いて、おそらく何一つ身を削ってはいない。もし疑うのなら体重計に乗って見せてもいい。僕は1グラムだって減ってはいない。

また気が向いたら日記を書く。それは明日かもしれないし、一週間後かもしれない。あるいは、二度と更新しないかもしれない。とにかく今日は休もう。頑張りすぎるぐらい頑張った。我々はいつも頑張りすぎるぐらい頑張っている。おやすみ、おじさん、おばさん。いい夢でも見ろよ。