レゾンドトゥール

世の中にはエッセイやら随筆やら評論やら色んな種類の文章がある。その中でも私が一番好きなのは小説だ。なぜなら小説は全て空想で、それ故に他のどんな文章よりも物理的なインパクトを持っている。

過去読んだ中で最も印象に残っているのは村上春樹氏の「風の歌を聴け」だ。読んだことのある人ならわかると思うが、とにかく特殊な小説だ。それを従来の意味での小説と読んでいいのかもよくわからない。でもそんなことは大した問題じゃない。むしろ「風の歌を聴け」はそれ自身が新たに小説の枠組みを広げて、その原点に自分自身を置いた、そんなような歴史的な作品だと思っている。

 

(ここからは空想)

海沿いの小さな街に真っ赤な音楽家たちがやってくる。真っ赤な音楽家たちは5人で一つのグループをなしている。そのグループに名前はないが、彼らはあまりに有名なので人々は各々の呼び方で彼らを呼ぶ。無数にある名前の中でも支配的な呼称となっているのが「レゾンドトゥール」というものであり、私も便宜上彼らをそう呼ぼうと思う。「レゾンドトゥール」にリーダーはいない。全てのメンバーが独立した音楽家であり、彼らはお互いを最も距離の近い一人の同業者と捉えていて、お互いがお互いに影響を与え、結果として共同的に素晴らしい音楽を生み出し続けている。とはいえ、最初に一つの音楽グループを作ろうと決めて他の者たちに声をかけ始めた創設者はいる。彼の名前をカラスという。楕円形の大きな黒いサングラスをトレードマークとして、近年はテレビやネットメディアでも度々姿を現す。光を反射しその奥の表情を隠す匿名的なサングラスとは裏腹に、彼は頻繁に自身の考えをメディアを通して発信し、政治や芸能から、一週間で忘れ去られるような俗物的なニュースについても求められれば積極的に意見を発する。彼の音楽家という本業を知る前に彼のことをテレビで知る人なども多い。そんな外向的なカラスとは対照的に他の4人のメンバーはほとんどメディアに姿を現さない。彼らが特別秘密主義であるというわけではないが、4人は音楽以外の手段で自分達を語ることに大した意義を見出してはいない。彼らは多産な音楽家なので、もし全員についてよく知りたいと思うのなら、彼らの楽曲に触れてみることが手っ取り早いだろう。

とはいえ、そんな今をときめく「レゾンドトゥール」、真っ赤な音楽家たちが私の住む何もない海辺の街にやってきたことはちょっとした出来事であった。

(続く、多分)