何かが微妙に我々の間に挟まって、うまく言葉は回り始めない

数日経って日記を開く。今は土曜日の昼下がりで、あと1時間は予定がない。5時半からは先輩と待ち合わせているので、それまで時間を潰しにカフェに入っている。

この前の日記では私が彼女に振られた話から始まって、どういうわけか彼女との馴れ初めを語り始めた。でもそれがあまりに長くなりそうだったので、途中で不自然に切れた状態で日記を終わらせてしまった。もし今度気が向けば続きを書きたいと思う。ただ要するに私が言いたかったことは、彼女との数ヶ月はちょっとした大冒険であったということだ。心をあちらこちらに振り回し、全てが終わった今私は奇妙な静寂の中に置かれている。

本音を言うのならその静寂とは、ある種の孤独である。あれから私はずっと自分の中にこもっている。何度か友達と会ったり、別れたことを打ち明けたりした。彼らは私を慰めてくれたし、私も彼らを前にしてペラペラと思いのうちを語り明けた。でもやはり、今私は孤独感に苛まれている。私にとって、考えれば考えるほど人間はよくわからないと思う。一体彼らは何を考えて、何を思って日々を過ごしているのだろう。人と一緒にいても彼らが何を考えているのか全然よくわからない。だから私は黙るのだけど、本当は黙りたくない。本当は私は彼らを知りたいし、彼らに私を知ってほしいと思う。でもいざ彼らと喋っていると何かが微妙に我々の間に挟まって、うまく言葉は回り始めない。かなり真剣に相手の話に耳を傾けても、かなり真剣に自分の思いを語っても、どこか空を切っているような気がするのだ。

話は飛ぶけれど、昨日友達と阿佐ヶ谷で待ち合わせると、駅前でジャズライブをやっていた。私は集合の10分前にはついていて、友達は15分遅れてくると連絡してきたので、大体30分駅で待っていなければいけなかった。時刻は6時10分前。肌寒い秋の夕どき、知らない街のネオンが、迷子の子供のように私を心細くさせていた。そこで偶然にもジャズバンドがライブを始めたことに私は心底感謝した。そのバンドのリーダーらしいサックス奏者の男は、チャーリーパーカーに影響を受けているらしかった。彼がマイクを通してそう言ったのだ。大してジャズに詳しくはないけれど、確かに聞き覚えのあるメロディがいくつかあった。私の僅かなジャズの知識をもとに演奏を聴いていると、彼らのプレイスタイルは個々の個性を尊重するような形であるらしかった。ドラムやベース、ピアノが裏方に回ってサックスが一人即興を繰り広げると言うよりか、全員が全員即興で演奏を行なっていた。サックスやピアノはもちろん、ベースにもドラムにもソロパートがあって、それぞれが輝くチャンスが与えられていた。なんと言っても、彼ら一人一人が即興のリズムを奏でながらも、他の楽器とコールアンドレスポンスで混じりあったり、常に流動するハーモニーを生み出していたことに私は驚いた。仕事帰りの中年男性やビールを片手に持った若い女性、親に連れられた小学生ぐらいの子供など、いろんな人がバンドを囲んで、その音楽に耳を傾けていた。月並みではあるけれど、それなりに心温まる光景だった。さっきまで私を少し息苦しくさせていた眩いネオンの中に私は何かしら好意的なものさえ見出していた。6時20分過ぎに全ての演奏は終わった。ちょうど最後の一曲が終わるぐらいで私の友人も駅にやってきた。もう少し早くきていればお前も聞けたのに、と言うと、ほんと失敗したわーと片手で頭を抱えて言っていた。大して興味はないのだろうな、と私は思った。